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10 Deus Ex Machina

(for Mechanical musical instruments - 自動演奏楽器のための)
詞・曲・対訳:tamachang [Vocoder, chipspeech(TI-99/4A emulate), CYBER DIVA]

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歌詞

D, E, U, S, E, X, M, A, C, H, I, N, A.

Deus ex machina,
機械仕掛けの神
miserere nobis,
憐れみ給え 我らを
dona nobis pacem.
与え給え 我らに安らぎを

詞について

これらの歌詞はいずれもラテン語です。冒頭のアルファベットは古ラテン語の発音、歌詞本文は、教会ラテン語の発音にしてあります。

(ボーカロイドは発音記号ベースで歌声を合成します。なので、発音記号を直接に入力することで対応言語とは異なる言語も歌わせることができるとも言えるのですが、各言語ごとに使われる発音の種類は限られるので、その言語に含まれる発音しか発音できません。chipspeech も発音記号での入力ができますが、用意されていない発音は発音できません。いずれも英語のライブラリなので、おそらくは英語訛りのラテン語の発音になっているのだと思います。)

デウス・エクス・マキナ(Deus ex machina:「機械による神」の意)は、一般に「機械仕掛けの神」と訳されますが、もともとは古代ギリシアの演劇用語です。古代ギリシアの演劇では、しばしば、神が登場しますが、その演出方法として、神を演じる役者がクレーンのような仕掛けで吊り上げられて登場するということが行われました。本来、デウス・エクス・マキナとは、そのようなカラクリによって登場する神(の役)のことを指します。

けれども、古代ギリシアの哲学者であるアリストテレスは、そうしたデウス・エクス・マキナは、作劇術としては好ましくないと論じています。アリストテレスは、物語における葛藤はさまざまな事物の因果関係の中だけで構築すべきであり、神などの超越的な存在によって因果関係なしに葛藤を解決することは避けるべき、としました。

そうしたアリストテレスの論を踏まえ、デウス・エクス・マキナの語は、後世には意味が拡張され。物語に登場する因果関係とは関係なしに葛藤を解決する超越的なもの一般を指すようになります。神だけでなく、唐突に登場する権力者や、突然の事故や天変地異、あるいは「夢落ち」のようなものもデウス・エクス・マキナの一種と考えられるようになります。

後段の2文は、ミサ典礼文のアニュス・デイ(Agnus Dei)の一節です。アニュス・デイでは、次のような文が奏上されます。

Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, miserere nobis.
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, dona nobis pacem.

「Agnus Dei, qui tollis peccata mundi,」を逐語訳をすると、「Agnus(仔羊) Dei(神の),qui(それは~する者である) tollis(取り除く) peccata(罪) mundi(この世の)」となり、「この世の罪を取り除く者である神の仔羊よ」というような意味になります。

ここで言う「神の仔羊」とは、人々の罪を贖うために神に生贄として捧げられて死んだイェスのことを指しています。古く神に仔羊を生贄として捧げた風習があり、そこから子羊の比喩をもってイェスを指すようになったようです。

この楽曲の歌詞では、アニュス・デイの前段部分の代わりに、デウス・エクス・マキナの語を置いています。機械仕掛けの声たちが機械仕掛けの神に祈りを捧げるという内容にすり替えています。

楽曲について

このアルバムを締めくくる楽曲としてどのようなものが相応しいのか。それはおそらく自動演奏についての音楽になるのではないか、という考えに至りました。1曲目の「DaisyBell」がコンピュータによる合成音声の歌の歴史へのオマージュとすれば、最後のこの曲は自動演奏の歴史へのオマージュです。

機械による音楽の自動演奏は、東洋ではあまり探求されませんでした。けれども、西洋では熱心に探求されました。中世には教会などに取り付けられた「カリヨン」という複数の鐘を自動演奏する機構が作られています。しばらくのちには、その技術がオルガンに応用され、自動オルガンや手回しオルガンへと発展していきます。

一方、ゼンマイで動く時計が作られるようになると、時計のアラームとして簡素なチャイムの音楽が組み込まれるようになります。18 世紀末には、そのチャイムが時計から独立し、オルゴールが発達していきます。

オルゴールが誕生した頃、新しい鍵盤楽器であるピアノが発明され、発達していきます。ピアノの自動演奏は早くから模索されますが、なかなか実現しませんでした。ピアノはオルガンとは異なり、音の高さだけでなく打鍵の速さ(音の大きさ)も制御しなければならなく、その仕組みが複雑になるからです。それでも19世紀末になると自動ピアノも実用化されるようになります。

そのようにして、さまざまな楽器の自動演奏を組み合わせることができるようになり、20 世紀の初めにはオルガン、ピアノ、鉄琴や打楽器などを組み合わせて自動演奏をさせる「オーケストリオン」と呼ばれる楽器も製作されるようになります。

このような自動演奏装置は富裕層の嗜好品となったり、客寄せとして公衆の場(たとえば酒場や店先など)に設置されるようになります。けれども、蓄音機が発明され、レコードが普及すると、それらの高価な自動演奏機械は急速に廃れていきます。

そうなのですけれど、自動演奏の歴史はコンピュータやシンセサイザーという新しい技術へと飛び火します。1960 年代には、シンセサイザーを電圧で制御するステップ・シーケンサーという電子回路の仕組みが作られ、1980 年代にはMIDI(Musical Instrument Digital Interface)という自動演奏の規格が生まれます。MIDI 規格に準じたさまざまな電子楽器が発売され、それらをコンピュータによって制御することが可能になります。

その1980 年代にあって、もう1 つ、自動演奏という文脈において重要であると私が考えるものにビデオゲームの音楽があります。当時のゲーム音楽はPSG(ProgrammableSound Generator)と呼ばれる単純な波形を生成するチップを制御して作られていました。任天堂社のファミリーコンピュータなどの音がそのPSG の音です。PSG が同時に発音できる音はわずかに3音で、その音色も極めて非人間的な機械的なものでした。

そのような厳しい制約にあった音とはいえ、当時のビデオゲームにおける映像の物足りなさに比べると遥かにマシだったのかもしれません。当時の画像・映像処理は、現代の画像・映像処理に比べると遥かに劣悪なものだったので、ビデオゲームはやがて、PSGによる音演出に力を入れるようになります。映像の物足りなさを補完するように、多彩な音楽と効果音が作られました。これほどに非人間的な音楽や音が愛された時代は、おそらくはこの時期が初めてにして最後だったのかもしれません。リアルな映像や録音が可能になった現代にあっては、PSG 期に模索された異様なまでの奇妙な発展の歴史は、今や、ロスト・テクノロジーとなりつつあるのかもしれません。

この楽曲は、そのような自動演奏の歴史を辿るように構成されています。

電子音によるメトロノームの音。このメトロノームは曲の終わりまで、1秒に一回ずつ規則正しく鳴り続ける。オルゴールのネジが回され、その演奏が始まると、ボコーダーが「D E U S E X M A C H I N A」のアルファベットを唱える。そこに、自動オルガンとコンピュータの歌唱が加わる。次いで、自動ピアノとボーカロイドが加わる。さらに、PSG の音が加わると、オルゴールのゼンマイは止まり、オルゴール以外の自動演奏楽器による合唱と合奏が始まる。導入部で提示された主題の変奏。主題は時間的に縮小されたり、拡大されたりして、同時に重なり合う。たくさんの歯車の連動が複雑なリズムを刻むかのようなポリリズムが立ち上がる。次いで、コンピュータの歌唱、ボーカロイド、ボコーダーによるカノン。そのカノンはさらにPSG とオルガンに引き継がれ、再び主題の変奏。そして、導入部の旋律によるコーダ。コーダの終始の後、止まっていたオルゴールが再び、わずかに動く。

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