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04 大悲心陀羅尼

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詞:仏教経典による
曲:tamachang [猫村いろはV4(Soft)]


歌詞

だいひしんだらに
なむからたんのーとらやーやー なむおりやーぼりょきーちーしふらーやー
ふじさとぼーやーもこさとぼーやー もーこーきゃーるにきゃーやーえん
さーはらはーえいしゅーたんのーとんしゃー なむしきりーといもーおりやー
ぼりょきーちーしふらーりんとーぼー なむのーらー きんじーきーりー
もーこーほーどー しゃーみーさーぼー
おーとーじょーしゅーべん おーしゅーいん
さーぼーさーとーのーもーぼーぎゃー もーはーてーちょー とーじーとーえん
おーぼーりょーきー るーぎゃーちーきゃーらーちー いーきりもーこー
ふじさーとー さーぼーさーぼー もーらーもーらー もーきーもーきー
りーとーいんくーりょーくーりょー
けーもーとーりょーとーりょー
ほーじゃーやーちーもーこーほーじゃーやーちー
とーらーとーらー ちりにーしふらーやー
しゃーろーしゃーろー もーもーはーも-らー ほーちーりー
ゆーきーゆーきーしーのーしーのー おらさーふらしゃーりー
はーざーはーざん ふらしゃーやー
くーりょーくーりょー もーらーくーりょーくーりょー
きーりーしゃーろーしゃーろー
しーりーしーりー すーりょーすーりょー ふじやーふじやー ふどやーふどやー
みーちりやー のらきんじー ちりしゅにのー
ほやものそもこー しどやーそもこー もこしどやーそもこー
しどゆーきーしふらーやーそもこー のらきんじーそもこー
もーらーのーらーそもこー しらすーおもぎゃーやーそもこー
そぼもこしどやーそもこー しゃきらーおしどーやーそもこー
ほどもぎゃしどやーそもこー のらきんじーはーぎゃらやーそもこー
もーほりしんぎゃらやーそもこー
なむからたんのーとらやーやー
なむおりやーぼりょきーちーしふらーやーそもこー
してどーもどらー ほどやー そーもーこー

詞について

陀羅尼(だらに)とは、真言よりも長い呪文のこと。陀羅尼もまた、真言と同じく、サンスクリット語を音訳したもので、通常、その意味については考えず、無心に暗唱することが推奨されています。

大悲心陀羅尼は、主に、禅宗系の宗派で読経されるもので、この楽曲での発音は、禅宗での発音によっています。日本での禅宗は、鎌倉時代に中国(宋)から直輸入されたもので、その発音も宋での発音に従っているのかもしれない。

大悲心陀羅尼は、真言宗などでも読経されますが、真言宗では発音の慣習が異なるようです。たとえば、禅宗での「ふじさと」は、真言宗では「菩提薩埵(ぼたいさった:菩薩の意)」となり、「そもこ」は「そわか」となります。般若心経にもある「僧莎訶(そわか)」は、サンスクリット語の「svaha(スヴァーハ)」の音訳で、「幸あれ」というような意味のようです。

また、仏教典によく出てくる「なむ」は、サンスクリット語の「namas(ナマス)」を音訳したもので、「南無阿弥陀仏」とか「南無法蓮華経」というときの「南無」。「曩莫(のまく、あるいは、なまく)」などに音訳されることもあります(「なまく」は「大金剛輪陀羅尼」の冒頭部分にあります)。仏教の文脈においては「帰依する」というような意味になるのですが、ヒンディー語の挨拶のことばである「namaste(ナマステ)」の「namas」と同じ語でもあり、「ナマステ」の場合は、「te(あなた)」に「namas(服従する)」という意味合いになるらしい。

楽曲について

その題目(だいもく:読経する経典のタイトルを唱える部分)は、禅宗風の節回しにしてあります。禅宗では、たいてい、題目の最後の音韻を長く伸ばして、完全4度に下降してから、元の高さに戻るように詠唱します。この節回しのやり方は、なにか日本的な感じがするのです。というより、日本の伝統的な歌唱音楽の多くは、仏教の読経の節回しの影響を強く受けているのでしょう。

仏教での読経は、たいてい、終始同じ音の高さで、等拍に詠唱されます。陀羅尼もまた、終始同じ音の高さで詠唱するのが一般的なようです。けれど、ここはあえて、音の高低とリズムを伴う旋律を当てることにしました。

禅宗での読経の音韻は、般若心経の硬い響きと異なり、柔らかな感じがします。そこで、旋律を日本の律旋法の中に置き、ある種の子守唄のような、静寂の中に染み入る静かな響きになるよう試みています。

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