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08 ひふみ祝詞

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詞:神道祭文による 詞補作・曲:tamachang  [SF-A2 開発コード miki V4]


歌詞

一二三 由良由良… 布留部… 飫憩
(ひふみ ゆらゆら ふるべ をけ)

餘れる處と足らざる處は 廻りて約りし 一二三四五六七八
(あまれるところとたらざるところは めぐりてちぎりし)
餘るは塞ぎて足らずは銜えて 泥濘む濡る沼 一二三四五六七八
(あまるはふたぎて たらずはくわえて ぬかるむぬるぬま)
沼矛と未通女の麻具波比 許々袁々呂々 洩れたる諸 一二三四五六七八
(ぬぼことおぼこのまぐわい ころころ もれたるもろもろ)
矛 蕃登 御合て 畫き鳴し滴る 瑞穂の八嶋の出で立ちき
(ほこほとみあいて かきなししたたる みずほのやしまのいでたちき)

※1 阿那 阿波禮 九十 飫憩 阿那 於茂志呂志 八百萬
(あなあはれ ここのたり をけ あな おもしろし やおよろず)
阿那 多能志 飫憩 百千萬 阿那 佐夜憩 飫憩
(あなたのし をけ ももちよろず あな さやけ をけ)

※2 天 由良由良 布留部 飫憩 地 由良由良 布留部
(あめ ゆらゆら ふるべ をけ つち ゆらゆら ふるべ)
星 由良由良 布留部 飫憩 空 由良由良 布留部 飫憩
(ほし ゆらゆら ふるべ をけ そら ゆらゆら ふるべ をけ)

 一二三 由良由良… 布留部

成り餘れる矛 成り合わざる蕃登 布斗麻邇トい 一二三四五六七八
(なりあまれるほこ なりあわざるほと ふとまにうらない)
阿那 邇夜志 愛 袁登賣 阿那 邇夜志 愛 袁登古 久美度に興して 一二三四五六七八
(あなにやしえおとめ あなにやし えおとこ くみどにおこして)
淡道之穗之狹別 伊豫之二名 隱伎之三子 一二三四五六七八
(あわじのほのさわけ いよのふたな おきのみつご)
筑紫に伊伎嶋 津嶋に佐度嶋 豐秋津嶋 出で立ちき
(ちくしにいきしま つしまにさどのしま とよあきつしま いでたちき)

※1
山 由良由良 布留部 飫憩 川 由良由良 布留部
峰 由良由良 布留部 飫憩 谷 由良由良 布留部 飫憩
 一二三四五六七八九十
 (ひふみよいつむななここのたり)
※3 布留部 由良由良止 布留部 飫憩
 一二三四五六七八九十百千萬
 (ひふみよいつむななここのたり ももちよろず)
※3
 ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆゐつわぬ
 そをたはくめかうおゑにさりへてのますあせえほれけん
※3
※1
皆 由良由良布留部

詞について

さて、この楽曲の歌詞の文脈はちょっと複雑です。大きくわけて、4つの要素があります。1つめは、タイトルにある「ひふみ祝詞」。2つめは、日本神話の中の「国生み」と呼ばれる物語。3つめは、日本神話の中の「天岩戸(あまのいわと)」と呼ばれる物語。最後に「あめつちの詞(ことば)」。1つずつ、説明してきます。

ひふみ祝詞

「ひふみ祝詞」は、古くから神道に伝わる祭文で、数への信仰を伴うものとされています。いつかの祝詞の型が伝えられており、この楽曲では、それらを組み合わせて挿入しています。

1つは、「布留(ふる)の詞(ことば)」と呼ばれる次のようなもの。

一二三四五六七八九十 布留部 由良由良止 布留部
ひふみよいむなやここのたり ふるべ ゆらゆらと ふるべ

古い文献の伝えるところによると、この祭文を唱えると、死者が蘇生するほどの呪力が発揮される、とあるそうです。十種神宝(とくさのかんだから)と呼ばれる、鏡2種、剣1種、玉4種、比礼(ひれ:女性が首に掛けるスカーフ様のもの)3種の計10個の宝物を、順次、振るという方法もあるらしい。

「振る」という語彙は、おそらく「奮う」にも繋がるイメージなのかもしれません。神道では「鈴」や「大麻(おおぬさ:神主が儀式などで使う白いフサフサのついた棒)」など、振ることで音を鳴らすことがよくあります。そのことにより、八百万の神々の魂をふるわせ、生気を取り戻す、というような意味合いがあるようです。

もう1つは、数に相当する文言を唱えて、「祓い給え 清め給え」と続くもの。
ひ ふ み よ い む な や ここの たり
ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここの たり

最後に、「ひふみよいむなや」から先、さらに長い文字列が続くもの。
ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆゐつわぬそをたはくめかうおゑにさりへてのますあせえほれけ(ん)

「こ=ここの、と=十(とう)、も=百(もも)、ち=千(ち)、ろ=万(よ[ろ]ず)」までは数に関するものであるとするのが一般的な説です。けれど、その先の文言は、さらに大きな数の単位を示すとする説や、意味のある文として解釈する説など、諸説あります。

いずれにせよ、「ひふみ」の文脈はどれも、呪術的な背景を伴う神秘性の中にあります。一説に、数を区別するこということは、存在を区別することであり、それはあたかも、なんらの区別もない「クラゲのように漂う(と古事記では表現されている)」原初の混沌の中に、神という明らかに異なる存在が生まれるということに等しい、と解釈する説もあるようです。

そして、その数がたくさんに増えるということは、たくさんの区別、つまり、多様性が生じることです。その多様なる「もの」に対して、それぞれ名前が名づけられます。「ひふみよいむなやこともちろらね…」の祭文には、音韻の重なりが1つもありません。このことは、この祭文が「数」の祭文であると同時に「ことば」の祭文だということを示しています。

音韻をどう繋げて束ねるかによって、さまざまなモノの名前が立ち現れるということは、我々の認識(あるいは観念)の中で、万物がまさに生成されているその瞬間に立ち会っているとも言えるのです。こうしたことが、古来から日本に伝わる言霊(ことだま)の信仰と密接な関係を持つだろうことは想像に難くありません。

天岩戸

この楽曲では、天岩戸の物語に関係する文言も引用しています。天岩戸の物語は、おおむね、次のようなものです。

高天原を治めているイザナギの娘、アマテラスのもとに、その弟スサノオがやってくる。スサノオは母(イザナミ)のことを思うあまり、嘆き荒んでいて、高天原でいろいろな悪さをする(糞を撒き散らしたり、死んだ馬を家に投げ込むなど)。それを嘆いたアマテラスは、天岩戸なる岩戸の中に隠れてしまう。すると、高天原は闇に包まれ、悪いことがたくさん起きるようになる。
このままではまずいと神々は相談し、天岩戸の前で祭りを行うことにする。祝詞を奏上し、桶を打ち鳴らして、アメノウズメ(芸能の女神)がほとんど全裸になって踊ると、八百万の神々がどっと笑う。その音と声を岩戸の中で聴いたアマテラスは何事かと気になって、岩戸の戸を少し開けると、怪力の神がその戸を一気に開け、高天原に光が取り戻される。

そのとき、神々によって語られた言葉が以下のものであると伝えられています。但し、この文言は古事記には記されておらず、古い文献や、神楽などに伝えられるものです。

阿那 阿波禮 阿那 於茂志呂 阿那 多能志 阿那 佐夜憩 飫憩
あな あはれ あな おもしろ あな たのし あな さやけ をけ

「あな」は「あなにやしえおとめ」の「あな」と同じ、「ああ」というような感嘆詞。

「あはれ」は驚きを示す感嘆詞とされ、「はれ」は「晴れ」の意。後世に「もののあわれ」という文脈になったり、「天晴(あっぱれ)」という文脈になったりする語。

「おもしろ」は「面白」で、光が当たって神々の顔が白く輝いたさま。

「たのし」は「楽し」で、一説に「手(た)」を「のす(差し伸べる)」たくなるほどに嬉しい、あるいは、愛おしいという意。

「さやけ」は「さわやか」の意。清らな感じを示す語。

「をけ」は打ち鳴らしていた桶の意とも、神々が囃し立てた掛け声(囃子声)とも伝えられる。

この文言に含まれる喜びの表現を示す語彙たちは、現代にも形を変え、伝えられているものばかりで、日常会話の中にもちょくちょく顔を出します。このことは、日本語を母語とする自分には、なにか感慨深いものがあるのです。「日本語でおけ」といった現代の言い回しにさえ、なにか神秘的な響きを感じます。

あめつちの詞

音韻の重なりが1つもない仮名48字からなる文で、平安時代初期に成立されたとされる以下の詞(ことば)。

あめ つち ほし そら やま かは みね たに くも きり むろ こけ ひと いぬ うへ すゑ ゆわ さる おふせよ えのえをなれゐて (天 地 星 空 山 川 峰 谷 雲 霧 室 苔 人 犬 上 末 硫黄 猿 生ふせよ 榎の枝を 慣れ居て)

言葉を覚えるための文として広く伝えられていた詞のようです。その用途においては、後世に成立した「いろはうた」にその地位を奪われることになります。「いろはうた」は、仏教の文脈が色濃く入り込んだものですが、あめつちの詞は、それとは異なり、八百万の神のイメージの中にある素朴なもので、私のお気に入りの詞です。(この詞に曲をつけたものをすでに作曲しているくらいですから。)

この文字列にある「あめ つち ほし そら やま かは みね たに」までを、歌詞の中に組み込んでいます。「振るべ」くは、これらの万物なのです。

楽曲について

このアルバムは、その楽曲を制作した順には並べてはいません。最初に作ったのが、極端な重唱の試みである「般若心経」。次にV4の新しい機能である「クロスシンセシス」を試すための「禊祓」。そして、その次がこの「ひふみ祝詞」。そうなのですけれど、この楽曲は、実に難産でした。

まず、楽曲の骨子となる旋律と和声を先に作りました。世界各地によくある、そして日本の伝統音楽にもよく使われる5音短音階で旋律を組み立て、その旋律に対して、音階に存在しない音を用いたジャズ風の和声をつけるという作業。この作業は、慣れてないためか、やや複雑でしたが、適度に面白く、すぐに完成。けれども、気楽に始めた作業は、その後、まったくもっての頓挫。この旋律にどういう歌詞を当てはめてよいのか、どうにも思いつかないのです。

「ひふみ祝詞」の呪術的な祭文それ自体には、さまざまなイメージが湧くものの、祭文の長さが短かすぎて、の長さに合わない。で、「あなあはれ」の文言と「国作り」の神話のエピソードを加えることにしました。そうして歌詞が出来上がってみると、どうやらこれは、日本の国生みを「祝う」音楽なのらしい。

古い日本の言葉に「言(こと)祝(ほ)ぐ」という語があります。言葉によって祝うという意味です。この漢字の語順をひっくり返すと祝詞になります。この「ことほぐ」は、のちに「寿(ことほ)ぐ」という漢字が当てられ、それが訛って「寿(ことぶき)」となります。この楽曲は、そういう文脈の歌として育ったようです。

現代的なテクノ音楽の上に、V4で実装された「ピッチスナップモード(ピッチをわざと機械的に変化させるモード)」の歌声が重なると、現代における新しい「天使の歌声」のような気がしてならないのです。大変な難産だったこの楽曲は、不思議な音に育ってしまったけれど、さらなる不思議へと誘う存在でもあるらしい。あるいはそれは、天使ではなくセイレーンの歌声なのかもしれない。

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